「意志が弱いだけ」で片付ける前に知ってほしい
先日、ギャンブル依存症の更生施設のドキュメンタリー動画をYouTubeで見ました。 そこには、20代や30代の若者が、生活保護を受けながら集団生活を送り、必死に自分を作り直そうとしている姿が映し出されていました。
実際に見た動画がこちらです。
しかし、僕がそれ以上に衝撃を受けたのは、その動画の**「コメント欄」**です。
「120万くらいの借金で人生終わりとか甘すぎる」 「生活保護なんて税金の無駄。働け」 「自業自得。同情の余地なし」
そこに並んでいたのは、ぐうの音も出ないほどの「正論」の嵐でした。
ギャンブルで150万円の借金を作り、大学を中退した経験を持つ僕からすれば、それらの言葉はナイフのように胸に突き刺さりました。そして、こう思ったのです。
**「ああ、やっぱりこの苦しみは、経験したことがない人には一生理解されないのかもしれない」**と。
「私もかつて、150万円という借金を抱え、大学中退という絶望の中にいました。その時のリアルな心境は、こちらの記事に詳しく書いています。」
金額の問題ではない。その裏にある「詰み」の感覚

「120万なんて、必死に働けば1年か2年で返せる額だろ」 確かに、数字だけを見ればそうかもしれません。
でも、依存症者が「人生終わった」と絶望するのは、金額が多いからではありません。**「その金額を積み上げるまでに、大切なものをすべて使い果たしてしまったから」**です。
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親に泣きついて借りたお金も、もうない。
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友人についた嘘がバレて、連絡先はブロックされている。
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仕事も休みがちになり、職場での居場所もない。
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そして何より、「もう二度としない」と自分自身と交わした1000回以上の約束を、すべて破ってきた。
120万円という数字の裏には、それまで積み上げてきた「信頼の崩壊」がセットになっています。 「どこからも借りられない、誰からも信じてもらえない、自分ですら自分が信じられない」 この極限の孤独状態に陥ったとき、人は100万だろうが50万だろうが、「人生が終わった」と感じるのです。
正論は「正しい」。でも、人は正論では救われない

コメント欄に書いている人たちは、決して悪人ではないと思います。 真面目に働き、税金を納め、ギャンブルなんかに手を出さずに生きている。彼らの言うことは100%正しい。
でも、「正しい言葉」が、必ずしも「人を助ける言葉」になるとは限りません。
溺れて今にも沈みそうな人に、岸の上から「泳ぎ方を習わなかったお前が悪い」「もっと手足をバタつかせろ」と正論を叫んでも、その人は助かりません。今必要なのは、説教ではなく、投げ込まれる一本のロープです。
僕がパチ禁1年を達成できたのは、周囲の厳しい正論に導かれたからではありません。「それは苦しかったね」と、地獄のような現状を一度受け入れてくれた仲間や、同じ経験をした人の存在があったからです。
「批判を浴びるだけでは、人は変われません。僕がこのブログを始めたのは、そんな『過去の悪』を『誰かのための善』に変えたいと思ったからです。僕の今の決意を読んでいただけたら嬉しいです。」
僕は「批判する側」ではなく「理解する側」にいたい

もし、あの動画のコメント欄を見て、自分を責めて、さらに消えたくなっている人がいたら伝えたいです。
「甘え」の一言で片付けられるほど、あなたの苦しみは浅くないはずです。
世間がどれだけ冷たくても、少なくとも僕は、120万の借金の裏にある眠れない夜や、ATMの前で震える手の痛みを否定しません。
僕は、コメント欄の人たちを論破したいわけではありません。 ただ、正論の嵐に晒されて、もう一歩も動けなくなっている当事者の隣に座って、「僕も同じだったよ」と言える存在でありたい。
150万の借金という「悪」の過去を、誰かの絶望に寄り添う「善」に変えるために。 僕は今日も、綺麗事ではない僕自身の言葉を、ここに書き残そうと思います。
